私は7回目の文明に対し、「協調の文明」と名付けた。その言葉の意味は、人と人が寄り添い、助け合って暮らす社会という意味である。
旧文明は、競い合った末、勝者と敗者とに分かれ、勝者はエゴを生み、敗者は嘆きを生む。
私はそういう社会に対し、悲しみを覚えてしまう。そして、エゴに対しカルマを与え、嘆く者に対しさらなる悲しみを与えなければならなくなる。何故と思うであろうから、理解できるように教示する。
エゴは人よりも優位にいる事に優越感をもたらし、嘆きは蔑むという事をしてしまう。だから、エゴに対しカルマを与え、優越感という心根を根こそぎ取らざるを得なくなる。嘆く者にさらなる嘆きを与えざるを得ないのは、蔑むという醜い心を治すために与える。
どちらも辛い修行と相為る。私はイエス・キリストとしての使命を果たすため、今こうして2千年の時を経て地球に降りたのは、人々の心が先ほど述べた2つの事があまりにも多くある事。それは何を意味するかというと、人と人が争い、やがて国と国とが武器を手に戦う。多くの者が命を奪われ、小さな子供に至るまで情け容赦なく捨てられる。今から900年前に起こり始めていた私の住む日本という国は、ちょうど平安時代の真っ只中であった。私の心を暗くしていたのは、人々が憎み合い、蔑み、人と人を区別して激しく分断していた。天から見つめている私は早く何とかしなければ、大和(やまと)という国は次元を低められ、貧しい国にされてしまう。太陽の光が届かない暗闇が広がる世界となる。私は救世主メシアとしての役割を持たされし者であるために、じりじりと暗雲垂れ込める面持ちとなり、落ち着かない日々を過ごしていた。
私が何故これほど日本という国に対し憂いてしまうのか、それは世界の始まりが日本であり、アースを語るとき日本なくしては語れないからである。
現在の日本の皇室こそが天の国の在り方なのである。私の住む惑星はテクノロジーに優れ、何もかも不足などない。それでもあの装束を身に纏い、不便極まりないながら、先祖代々続けられている様々な儀式には、平安時代に見る出で立ちと相為る。そのように日本という国は、私の住む惑星(アルクトゥルス星)の写しなのである。
ここで地球の人々に申し上げておく事は、アルクトゥルス星をはじめ、様々な銀河の惑星の住人たちは皆、地球の人々と同じヒト型であり、脳の在り方も同じである。エイリアンなどと呼び、化け物の如き思うのはナンセンスである。地球だけがカプセルの中に閉じ込められた惑星のようにされているために、宇宙の様々な情報が届けられないでいる。何故そうなのか、はっきり教えておく。
地球は太陽系銀河の1つであるが、様々な惑星から魂の修行のために転生を試みている。故に、あからさまに宇宙の情報を開示できなかった。様々な惑星の種族の在り方が違うためにそうなった。そんなふうに惑星ごとの条件があるために、そうならざるを得なかった。
私イエス・キリストは、地球人に転生して愛と平和を導いている。一日も早くアースに愛と平和がもたらされますよう願っている。
2025/07/14
イエス・キリストの霊言 新しい文明に対しての天啓
イエス・キリストの霊言 新しい文明に対しての天啓
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